診断士試験と合気道 〜問題用紙と鼻の距離〜

みなさんこんにちは、あるいはこんばんは。「馬車の第5輪」です。
“オリジナル遠回り体験シリーズ“も早いもので3回目になります。
今回ご紹介するのは、数多いる診断士受験生の中でも、かなりユニークな経験なのではないかな?思います。

早速その経験についてお伝えしましょう。
それは、診断士試験に合格した年、合気道の道場に入門したことです。

え?合気道・・? 入門・・・?

と目を疑った方も多いことでしょう。
わかります。当然です。
誤解のないように申し上げますが、入門したのは合格してからではありません。
合格年度の前年の試験後、武道はまったくの未経験、スポーツといっても野球を大昔にやっていた程度にもかかわらず思い立って地元の合気道道場の門を叩いたのでした。
第1回目の投稿でも書いたのですが、合格した年度はほとんど診断士の勉強をしませんでした。なので実感としては、勉強をせずに合気道をしていたら受かったという感じです。流石に合気道をしたから受かったとまで言い切る勇気はありませんが、、。

診断士勉強仲間に限らず、周囲から「なぜ突然合気道?(半笑)」とよく聞かれます。
あまり明確な理由はないのですが、診断士2次試験に落第し続けて8年。気づけば四十路の声を聞き、コロナ禍による閉塞感も相まって、ずっとやってみたかったことをやろう、そして今自分に必要なのは武道、そして合気道!と直感に従い入門したのでした。

論語に曰わく、「四十にして惑わず」と。
唐突にまったく未経験の合気道に入門するなんて、「『惑い』の極み」のように思えますが、この「不惑」に関して最近面白い説を目にしました。
安田登 著「身体感覚で論語を読みなおす」によると、論語成立の年代には、「惑」という字はまだなかったのだそうです。
あったのは「或」で、これは区切るという意味です。「域」「國」などを考えるとイメージしやすいですね。
つまり、不惑のもともとの意味は、40歳になっても自分の領域や限界を決めつけず、カラを破って何にでも挑戦せよ、という意味であると。現在の通説と逆で、四十路こそチャレンジの年代、ということですね。まさに人生のマーケティングマイオピアに陥るな!と。

さて、本題に戻りましょう。
合気道に入門して1年半ほどの白帯のド素人が云うことなど噴飯ものかもしれませんが、「1日学べば1日の師たり」という言葉もありますので、武道を通じて私が学んだこと、感じたこと、診断士試験について思うことを、汗顔の至ながらお伝えしたいと思います。

1.武道で最も忌避すべきことの一つは「居着き」

「居着き」ってご存じですか?私は合気道を始めて初めて知りました。
「居着き」とは、簡単にいうと「身体が床にくっついてしまう現象」のことで、その場を動けないこと。
「相手がこう動くはず」とそれへの対応をあれこれと思案しているうちに、そのような心理的な働きが『抵抗』となって運動能力全体が下がってしまい、自分の動きの自由が奪われるという状態に陥ります。

私が診断士試験で経験していたことがまさしく「居着き」だったのではないかと思われてなりません。

ワンピースのルフィが海賊王を目指していることは周知のとおりですが(想定読者誰なの?)、ルフィは海賊王について、支配者でも、最強の海賊でもなく、「この海で1番自由な奴が海賊王だ」と発言しています。
与えれらた設問文、与件文をもとに自由に発想して、聞かれたことに素直に解答する。自分の仕事での経験や、熟達した過去問や、身につけてきた解法に決して居着かない。云うは易し、の典型例だとは思いますが、自分が1年勉強しないで受けた試験に合格することができたのは、そういうことだったのかな、と考えています。
(お暇な方は、私の第1回目の投稿、「百術不如一清」も参考にしてみてください)

2.プラトーを乗り越える

武道に限らずですが、何か物事に熟達するには「プラトー」を経験し乗り越えなければならない、という言説があります。
プラトーとは、「学習や作業の進歩が一時的に停滞する状態」「学習曲線が水平になっている状態」のことで、「学習高原」ともいわれます。
つまり、練習しても練習しても上達しない、成長を実感できない時期、ということです。
武道でも診断士試験でも、奥の深いテーマに挑戦する際には、プラトーはつきものだということは頭ではわかっているのですが、なかなか辛いものがありますよね。
最初はやればやるほど成長し、その実感もあることが多いと思います。
ただ、すぐに停滞期間に入り、「自分には向いていないのではないか?」「これだけ努力しているのに成果が出ないなんて、(対象が)おかしいのではないか?」「他にやるべきことがあるのでは?」「もう飽きた!」という感情が首をもたげてきます。
ただ、ここでやめてしまわずに、上達をすることを信じて練習(勉強)を続けられるかどうかが、熟達への岐路なのだと感じます。
合気道でも、「自分には絶対にできない」と思っていた動きがある日何のきっかけもなくできるようになった経験があり、診断士2次の学習でも最初はいつも20点程度しか取れなかった事例が気づけば得意分野になっていたことと見事にリンクしました。よく言われますが、成長は事後的に回顧的に実感するものなのだと思います。

比例的な成長実感がなくても、途中でやめずに努力を続けること。

これは、一見すると上述の「居着き」と矛盾するように思えるかもしれませんが、書いている本人はまったく矛盾を感じません。無意識下でも体が動くようになるまで稽古する、その先に居着きからの解放がある、のだと思っています。

3.呼吸と姿勢と間合いについて

くどいようですが診断士試験に合格した年は勉強が碌にできておらず、そのため例年のように詰め込んだ知識が何もないので、試験当日は合気道で稽古している「呼吸と姿勢」を意識しよう、とだけ思って臨みました。
本番では、試験中に自分の呼吸について意識したのも初めてでしたし、姿勢についても客観視でき、いかにこれまで問題用紙、解答用紙と鼻が接近した状態で試験に臨んでいたかがよくわかりました。
合気道では師範から、「相手の全身が見える位置まで間合いをとれ!」と耳にタコができるほど指導されます。
試験も同じで、机に突っ伏していては全体が見えず、頭が働かないのではないかと思います。
AAS流のマクロな視点が持ちづらくなるとも言えます。

姿勢というと「背筋を伸ばす」と意識される方が多いのではないでしょうか。
個人的には「問題用紙と鼻の間合いを取れ!」と意識した方が肩の力が抜けて呼吸しやすくリラックスしやすのではないかと思います。
(まったく個人的な意見で勝手気ままに言っているだけですので、ご参考までに)

 

【参考文献】
「身体感覚で『論語』を読み直す」 安田登  新潮文庫
「私の身体は頭がいい」 内田樹  文春文庫
「達人のサイエンス」 ジョージ・レナード 日本教文社
「ONE PIECE 52巻」尾田栄一郎  集英社コミックス

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