「運を味方につけるために」

合格年度 合格者氏名 再現答案  
29年度 平野 匡城 pdf_ico_32 合格体験記一覧に戻る

はじめに

上位20%に入れた理由を自分なりに考えて見ましたが、正直明確な理由はわかりませんでした。ただ一つ言えるのは「当日の運が良かった」のだと思います。
その運を手繰り寄せるためには何が必要なのでしょうか?心技体が揃っていることが必要だったのではと今振り返ると感じています。
①「心」試験当日、いかに平常心でいること。
②「技」試験当日に発揮できる自分の武器を持つこと。
③「体」試験当日に万全の体調で80分4本勝負を走り抜けること。

プロフィール

私は、現在IT関連企業に勤めています。ライフワークとして地域づくり(これについての賛否を語ると長いのでここは割愛)に興味があったので、私的に関係する私塾や公的機関の公募に参加していました。そんなおり、とある地方の商店街のまちおこし事業に関わった時の中小企業診断士の方との出会いが、目指すきっかけになったのだと思います。

受験歴

H22~24 1次試験通過ならず
H25    初一次通過も二次不合格
H26    一次通過も二次不合格
H27    二次不合格
H28    一次通過も二次不合格
H29    二次合格

学習方法

【一次試験について】
私は初めて一次試験に合格するのに約3.5年かかりました。理由は、めんどうくさがりの性格が災いして、科目合格の罠にはまったからです。(もちろん知識が達していなかったというのもありますが・・・・)苦手な科目だけ受験して、かつ6割を超えるのは難しいことでした。それに気がつきH25年は7科目受験にして、一次に専念しました。

【通学以前の二次の学習方法】
H23~24に受講したAASの通信講座(GW合宿も)が私の二次試験の学習スタイルのベースになったと思います。不合格が続いた時期でも他の試験校へ行くことはありませんでした。それは、二次試験のプロセスが自分の中で納得できたことと、石原先生、早坂先生からのアドバイスが判りやすく自信を持てたからです。また、自分に足りないと思うところ補うために、以下のことに取り組みました。
・字が汚かった(GW合宿の時に、石原先生から習字をお勧めされ)
習字までとは行かないが綺麗な字を書く本を購入してひたすら真似した。
→以前よりはましになった
・因果がどうしてもかけない
AAS名古屋の要約講座を受講。
→最後まで文章構成は下手なままだったが、因果の意識は高まった。
(鷺山先生には1年添削でお世話になりました。)
・どうやったら合格できるかを考えた。
「白書の概要版」や「中小企業白書を読む」を読んだ・
→事例は白書から出るので、白書を読み込んで大まかな流れを知ることはできた。
・験担ぎ
ブログに書いてある合格者が試験前に取った行動を真似てみる。
→気分は合格
とはいえ、H27年の3回目の二次不合格を受けて独学の限界を感じ、H28年は通学で一年勉強することにしました。

【通学で学んだH28】
<AASのセオリーを復習した第1クール>
第1クールは復習の意味合いが強かったです。(すでに通信で学んでいたので)ただし、通学することで各セオリーを深く理解し、誤解釈していた部分を修正することができたと思います。いちばん収穫が大きかったのは、AASでは「読む→考える→書く」のプロセスを踏むのですが、その考える工程の頭で事例のストーリーを全体俯瞰(マクロ視点)で見られるようになったことです。また、課題の学習成果を受講生間で共有するので、他の方の勉強に影響を受けてモチベーションも高まって行きました。朝は4時台に起き、職場へ早めに行き1時間。(幸せだったのは仕事場まで徒歩10分だったこと)昼食時と帰宅後にも課題に時間を割き、一週間で約25~30時間学習していました。第1クール終了時点で1位を取ることができました。

<中だるみの第2クール>
ところが、診断士試験の学習期間は長いため、第2クールに15位までダウンしました。5月から6月上旬は自宅の引越し、その後は二次の資格がなかったために一次中心の学習に切り替え課題もやらなくなったことと、会社のピークが重なっていたこともありました。また、何よりも他の受講生のレベルも上がり抜かれていったことが一番の要因だと思います。

<直前期の第3クール>
一次試験後の第3クールは、ここの過ごし方が2次試験本番のコンディションに影響する大切な時期だと認識していました。ただ、第二クールの焦りもあり二つのことを見直しました。
① 勉強は量より質にこだわること。
ここまでは事例を数多く解いてはいたものの振り返りに十分時間をかけていませんでした。(だから第2クールも悪かった)その対策として、ひとつの事例に時間をかけ振り返りをしっかり行うようにしました。この時、以前から答練で指摘されていた部分を分析し、自分の悪い癖一覧をファイナルペーパーとしてまとめました。それを見ながら本番をシミレーションするということをこの時期は繰り返しました。
② 5色のマーカーをやめたこと。
AASでは5色のマーカーでSWOTと重要なものを色分けするのですが、塗る作業に時間がかかり、考える工程が足りなくなっていました。そのため、解答の文章構成が中途半端で相手に伝わらない傾向が見られました。そこで、色を赤と青の2色のみ(経営者の想いや特に重要なところは赤、与件活用したいところは青でSWOTのマークや設問番号を書き込むスタイルに)しました。

こうして臨んだH28年の二次試験ですが、結果は不合格でした。
思い当たる理由は、どこか緊張が常にあった、ここのどこかで「今年は受かるだろう」との思いがあった、直前でプロセスを大きく改良(5色→2色)して十分馴染まなかった、などがありました。

【リラックスしたH29年】
<勉強計画するも・・・>
「今年こそ!」と新たに気合を入れて取り組もうとしていた29年。勉強方法の相談を早坂先生にしたところ「各科目数点取れていれば合格できる」「平野さんは頑張りすぎて自滅する傾向があるので、逆に少し勉強から離れて見てはどうでしょう?」と言われました。(ちなみにこの年もAAS本科にお世話になろうか迷ってはいました)
確かに、思い起こしてみれば、忙しくて直前期にしか勉強できなかった27年も事例1でC判定となってしまったものの、全体的にはA判定を取れていたので、思い切って、試験のことを当面忘れることにしました。

<そのまま時は過ぎ、H29年8月下旬>
一次試験も受験せず(本当に受けることを忘れていた)、2次試験の願書が協会から送られて来るまで診断士の勉強からは離れていました。そのため、二次申し込みだけはすぐに済ませたものの、ずっと離れていたので、なかなか試験前モードには入れませんでした。例年の直前期のペースに戻ったのは9月の最終週ぐらいに入ってからでした。(でも実はここから本試験までの調子の波が、昨年の本科で答練開始してから一番調子が良かった頃までのものと同じだった気が今ではします)

<H29の学習方法>
事例4はイケカコノートの本問を毎日1~2問解き、9月下旬からは、過去10年分の過去問、2週間前からはAASのイケカコ問題集を前日まで繰り返しやりました。
事例1~3は直近5年分の答練を実施。また、昨年のファイナルペーパーを元に、現在でも当てはまるものを残しつつ、新たな気づきを反映したものをブラッシュアップしていきました。
ちなみに、今回も量より質、2色の色分けは変えずに行きました。(技を固めた)

試験前日は午前中までイケカコ問題集を軽く回しつつ、当日の解答手順を軽くチェックしたのちは、関係ない本を読んだりして10時ぐらいに就寝しました。前日は例年にないくらいリラックスしていたと思います。(体を養えた)

試験当日

朝から台風が近づく中、少し早めに家を出て試験会場へ向かいました。なんの縁か試験会場の立教大学は8年前最初に一次試験を受けた会場で、不思議な縁を感じました。9時過ぎに受験室に入り、ストレッチしたりして当日もなんとなくリラクッスできていました。
早坂先生のアドバイスの通り、あまり勉強時間を確保しなかったことが、逆に緊張をうまずリラックスできた要因だと思います。
そのまま、事例1から事例4まで、楽しく事例に当たることができました。これは、説明が難しいのですが不思議な感覚でした。(心が伴った)
しかし、試験終了後帰宅するまでは、なぜか「失敗したなぁ、ダメだったなぁ」という気持ちでした。(一応軽く再現答案は作り)その後1ヶ月半ですっかり診断士のことを忘れていて、合格を知ったのも書留が来てという状態でした。逆に、口述試験まで期間がなく対策するのに苦労しました。

最後に

私が試験を始めた頃、二歳だった子供ももう十歳。かなりの月日が過ぎていました。毎年夏は診断士試験のピークなので子供を連れに夏に旅行へ行くことがありませんでした。でも、昨年は試験勉強から離れたおかげで初めて夏休みに家族旅行でのんびり過ごすことができました。実はこれが直前期にリラックスして望めた一番の理由だったのかもしれません。試験をこうやって長い期間受けられたのも家族の支えがあったからだと改めて感じました。本当に感謝です。また、ポイントポイントでAASの諸先生には様々なアドバイスをいただき本当にお世話になりました。

最後になりますが、診断士試験で一番大切なことは「あきらめないこと」。これは、私が受験生時代にこの言葉を多くの方からかけてもらった言葉です。
結局はこれに尽きるのだと思います。
だから私からも最後に一言「運が味方になるまで、諦めないで下さい!」