■ はじめに
1年前の私はかなり落ち込んでいました。どこか楽観的な気分で二次試験を受け、迎えた合格発表。結果は、見事不合格…。「さっさと合格し、育児休暇中に実務補習まで受講して、診断士になってしまおう!」という私の目論見は儚くも崩れ去って行きました。
その後、「やけ食い旅行」と称して向かった上海では体調を崩し、上海ガニを一口も食べられないまま帰国。失意の中、こたつにもぐって悶々とする日々が続きました。でもいつまでも落ち込んではいられません。「ママは試験に落ちた。ママはダメな人間だ。」と冷たい視線を送る8歳の娘、2歳の息子、「惜しかったよ。次は受かるよ」と励ましてくれる夫のためにも、立ち上がらねばなりません。とにかくもう1年頑張るぞと心に決めて、予備校を探しているとき、AASに出会ったのでした。
■ プロフィール
私は、ある独立行政法人に大学を卒業してから勤めております。現在、41歳になりますが、夫の転勤に伴う一時休職期間や育児休業期間を考慮すれば、実質の勤務年数は14年くらいでしょうか。仕事は主にデスクワークで、途上国開発を目的として海外に派遣される日本人の方々が派遣先で円滑に活動できるように支援する業務です。ちなみに、大学での専門は英米文学でした。
このように、民間企業での勤務経験はなく、経営のケの字も知らない私が、なぜ中小企業診断士の資格を取得しようと思ったのでしょうか。きっかけは、高校の友人の「中小企業診断士の資格を取ってみようかな」というつぶやきでした。ある日、仕事に疲れた帰り道、ふとそのつぶやきを思い出して本屋で参考書をチラ見したところ、企業経営やら財務やら、知的好奇心をそそられるワクワクする内容…「勉強したいことにやっと出会えた。これは面白いかも!」と気軽に勉強を始めたのでした。その後、夫の転勤やら妊娠・出産やら人生の節目を迎えるたび、勉強をやめたり再開したり…の繰り返しで、試験を受験することは一度もありませんでした。必死になって勉強する気力がわきませんでしたし、何より試験に落ちるのが怖かったのかもしれません。でも2人目の子供を出産して育児休暇を取得していたとき、焦りのようなものを覚えたのです。「この育児休暇が終わったら、もう長期の休暇は取れない。資格を取るなら今しかない。」と覚悟のような気持ちが芽生え、本格的な受験勉強を始めました。
■ 勉強・受験歴
年度 | 第1次 | 第2次 | 受験校 |
平成12年頃 | ― | ― | 企業経営学院(通信) |
平成16年頃 | ― | ― | T社(通学) ※第一子を妊娠し、つわりが辛くて勉強をやめる。 |
平成24年度 | ○(7科目合格) | ×(ABCA) | L社(通信) M社(通信) |
平成25年度 | ― | ○ | AAS(通学) |
初めての受験である、平成24年度の第1次試験は、L社の通信講座により、受験1年目で合格しました。最も苦手に感じていた財務は、以前T社に通学していたときに簿記の基礎を学習していたことや簿記2級取得のために勉強したことが役に立ち、克服できました。第2次試験対策は、L社の通信講座のみでは量的に少なく、解答作成のロジックもよく理解できなかったため、M社の通信講座を受講しました。添削問題の成績は良かったり悪かったり…の繰り返しで、今ひとつ勉強の手応えが得られないまま第2次試験を受験し、あえなく不合格となりました。
第2次試験の不合格通知を見たとき、「今のままの勉強方法では次も受からない」と不安を覚えました。なぜなら、落ちた理由がよくわからなかったからです。不合格の理由は、通信講座で家に閉じこもって勉強していても、永遠に気づくことができないように感じました。予備校に通学することで、先生や他の受験生からダイレクトに刺激を受けながら勉強をすれば、今の自分に何が足りないか気づくことができるのではないか…そのような期待から「通学式の勉強にするぞ!」と心に決めました。インターネットで、いくつかの受験校を検索して講座説明会に参加した結果、「講座が2週間に1回でスケジュールに無理がなさそう」、「少人数制で、先生が生徒一人一人とちゃんと向き合って指導をしてくれそう」という理由から、AASに通学することにしました。
■ AASでの勉強の様子
講座の初日はかなり緊張しました。なぜなら女性はクラスに私一人だけだったからです。周りは勉強に気合いが入っている感じの寡黙な男性の方々ばかり。でもここで腰が引けたら今後の勉強に響くと思い、とにかく自分をさらけだしてコミュニケーションの壁を作らないように努力しました。実際に話してみると、クラスメートの方々はみんな気さくで穏やかな人たちでした。早坂先生が講座の休憩時間にお昼ご飯はみんなで行けるよう声をかけてくださったり、交流会を企画してくださったりしたこともあり、クラスメートとの距離は徐々に縮まっていきました。
授業の形式は、先生からの講義のほかに、問題を解いたり小グループでディスカッションをしたりと、バラエティに富んでおり、飽きずに受講することができました。また、事例を解く際は、本番さながらに時間を決めて行うため、時間配分の見積もりに役立ちましたし、何より集中力が身に付きました。
■自宅での勉強の様子
AASでは、自宅での学習を継続して飽きずに続けられるように様々な仕組みがあります。例えば、早起きして勉強する仲間同士で、起きた時間を報告しあう「三徳会」、週に1度のペースで発信される「Web講座」、通学講座で出された課題を自宅で解いて提出しあう自宅学習支援サイト「知恵の輪」、日経新聞のコラム春秋を読んで40字以内でまとめる訓練をする「チャレンジ要約特訓」、などです。私はこれらの仕組みを最大限に活用し、日々の勉強をこなしました。1日の学習スケジュールは以下のようなものでした。
朝 4:30 起床・ラジオ体操・「三徳会」へのメール発信
5:00 家事をしながら「Web講座」の視聴
5:30 財務計算問題・課題への解答作成・「知恵の輪」へのアップ
6:30 子供を起こして、朝食
7:30 出勤
(行き帰りの通勤電車で、「チャレンジ特訓」に取り組んだり、「Web講座」を
聞いたり、過去問を読む)
18:30 帰宅・夕食・家事
21:30 子供と就寝
育児休暇は2回目受験の勉強を始めて間もなくして終わり、久しぶりに職場に復帰しました。新しい職場に慣れるのは予想以上に大変で、また、育児や家事もこなさなければなりません。毎日、勉強や育児、仕事に追われていました。そんな中、限られた時間を有効活用するために役に立ったのはI Padでした。通勤電車のなかでAASのサイトにアクセスして知識の確認をしたり、「知恵の輪」にアップした課題への先生のコメントを読んだり、昼休みに過去問を解いたり…I Padのおかげで隙間時間も勉強に充てることができました。
また、自宅学習を継続するにあたり、先生やクラスメートには大変にお世話になりました。「三徳会」のメールに添えられるクラスメートからの「今日も頑張りましょう」の一言。時には「昨日は飲みすぎました」などという近況報告もあり、そんなメールのやり取りは朝の楽しみでした。「大変なのは私だけじゃない」と孤独感が和らぎました。また、「知恵の輪」にクラスメートが課題を次々とアップするのを見て、「私も負けられないぞ」と底力が湧いてきました。そして何より、提出した課題に対して返ってくる早坂先生や関口先生からのコメント…常に率直で、かつ思いやりにあふれていました。通学式の講義で顔を合わせているからこそ、「私のことをわかったうえで、コメントしてくださっている」と信頼でき、素直に受け止めることができました。これは、通信の添削課題では得られない実感でした。
■転機
それは忘れもしない4月のある日、新作Part①事例Ⅱの添削結果を見たときでした。私の順位は、なんと東京校のクラス中で最下位だったのです。得点はたった28点。これは精神的にとてもきつかったです。今までそこそこの点数が取れていて、自分の能力をどこか過信していたのですが、プライドは粉々に崩れ去りました。クラスメートの目も気になるし、恥ずかしいやら、情けないやら…「何がいけないんだろう、今までの勉強はなんだったんだろう」とかなり落ち込みました。私の疑問に対する答えは、添削された答案の中にありました。自分の全てを疑って、自身が作成した答案を見直したとき、あることに気付いたのです。作問者の意図やメッセージを十分に受け止めずに、自分勝手に与件文を解釈して自己中心的な論理で回答を作成する自分がいたことに…。愕然としました。横っ面をはられたような気持ちでした。
それからの私は、とにかく、作問者のメッセージを全身で受け止め、解答する技術の習得に集中しました。AASで学んできた数々のメソッドを順序立てて一から見直し、与件構造化から回答作成に至るまでの一つひとつのステップを確実に行いながら、過去問や練習問題に取り組みました。自分の回答と模範解答が異なる場合は、与件文や設問を改めて熟読し、何を見落としていたのかを徹底的に検証しました。このようなことを繰り返しているうちに、過去問のパターンが見えてきたのです。例えば、事例Ⅰではより広い視野での外部環境が問われる、事例Ⅲでは最後の設問で新規事業開発が問われるなど…これはAASの講義の場でも繰り返し教えてもらっていたことで、頭では理解していたつもりでした。でも身体で覚えないと身につかないのですね。鍛錬を繰り返すことで、問題を解くポイントがストンとお腹の中に一つずつ落ちていくのを感じました。「あ、こういうことだったのね。」と。
■ 試験当日
お腹がすくと集中できないので、緊張をほぐす意味もあっておやつをいくつか持参しました。試験場に着くと、ちらほらと見かけるAASのクラスメートの面々。顔を合わせると元気が出ました。「頑張りましょう」と声をかけあいました。
さて本番。事例1では、第一問につまずきました。「何を書けば良いのか…」考えあぐねましたが、これまでの勉強を思い返しました。そして、「これはいつもの外部環境分析だ。設問のパターンを大きく変えるはずはない。」と思い、解答を作成しました。事例2では、まさかの計算機を使う問題。「計算機を机に出しておいてよかった~」とひやひやしながら解きました。事例3は、設問数が少なくて拍子抜けしたものの、慎重に解きました。そして迎えた恐怖の事例4。ひとまず与件文、すべての設問に目を通し、解けるものから解きました。そして自分の答案用紙を改めて眺め、唖然…空欄ばかりじゃないですか!「このままじゃ確実に落ちる!」と焦りつつも、計算問題には自信がないので、記述問題を解くことに集中しました。
終わったあとは、ただひたすらに脱力感を感じました。「事例4で足切りされなければ、何とかいけるかも」という希望もありましたが、問題を見直す気にはとてもなれず、合格発表を待つ日々でした。自分の受験番号をパソコンの画面上で発見したときは、本当に嬉しかったです。
■ 最後に
これまでの勉強期間を振り返ってみて、落ち込んだ時が転機だったのかなと感じます。最初の受験が不合格で落ち込み、勉強の方法を通学式に切り替えたこと、AASでの新作事例の順位が最下位で落ち込み、自分の全てを疑ったこと…精神的には辛かったですが、今は「落ち込んでおいて良かった」と心から思います。そして、合格したのは自分だけの力ではないとつくづく感じます。早坂先生をはじめとして、合格へのポイントを丁寧に根気強く教えてくださったAASの講師の方々、時には冗談を交わし合ったり、励まし合ったりしながら、「最後まであきらめない」気持ちを持たせてくれたAASのクラスメートの方々、そして何より淋しい気持ちを我慢して一生懸命支えてくれた夫や子供たち…すべての方々に感謝します。
ここまで読んでくださって、有難うございました。勉強を続けることは本当に辛いことですが、その先にある未来を信じて、自分を信じて頑張ってください。私も「合格したはいいけど、その後は??」などと言われないよう、これからも頑張ります。
以 上