◆合格発表の日
「合格だ・・・私の番号が載っている・・・信じられない・・・夢かもしれない・・・」
体がガタガタ震えました。家内に携帯メールを打とうとしましたが「ごごごご・・・」うまく指が動かないほどでした。そこで、鷺山先生に電話して、番号を確認していただくことにしました。「良かったね〜〜おめでとう!!」これで、ようやく夢ではないことが確認できました。合格の瞬間です。良かった・・・本当に良かった・・・。
平成21年12月11日(金)午前10時20分、この日をどれだけ待ち焦がれていたことでしょう。
この日、私は「出張」で名古屋に居ました。合格発表の日であることは、もちろん知っていました。「今年もダメだろう・・・」諦めに似た気持ちで、いちおうネットで合格発表を見ることにしました。発表が気になって仕事が手に付かなかったからです。
◆「気付き」の瞬間
2次試験3日前の10月22日の事、朝起きたら「歯が欠けて」いました。苦節10年、鈍感な私でも、さすがにプレッシャーを感じていたのでしょう、激しい「歯ぎしり」のせいで奥歯が欠けてしまったのでした。
その頃、毎日鷺山先生に提出していた「春秋要約」の欄外に「歯が欠けました」と書いて送ったところ、鷺山先生からは「良かったね〜〜試験の当日でなくて!」と、超ポジティブなコメント付きの返信をいただきました(ここが鷺山先生の凄い所です)。しかし、この事が、結果的に私を、今年合格に導くキッカケになったのでした。
歯医者へ行き、待合室で待っている時、隣の人が週刊誌の「美人グラビア」を見ていました。何気なく隣から覗いて見た時「そうか!!美人も色々なタイプがあるが、骨格は殆ど同じはず。では、何が違うのか?そうだ、その骨格の上の筋肉や皮膚の付き方で、違ってくるのだ!」と、気付きました。つまり、2次試験の解答も「戦略フレームワーク」という骨格の上に、与件文や設問文に散りばめられている「キーワード」や「事実」を、筋肉や皮膚として、肉付けしていけば良いのではないか、と言う事です。
これまでの私の解答は、仕事柄、様々な企業様の現場を見る機会が多いこともあり、設問文と与件文の中の「自分の好みの部分や、知っている部分」だけ見て、勝手に想像を膨らませて解答を作っていたのでした。ですから、「私好みの美人」のことを一生懸命解答していたわけで、試験問題の「作問者の好み(意図)」を無視した解答でした。
例えて言えば、「桜島、爆発、薩摩おごじょ、優しいけど、強い」というキーワードを見て、作問者は「篤姫」の事を問うているにも係わらず、私は「鷺山先生」を想像して答えるような状態でした。これでは、何年かかっても合格できないはずです。
◆今年こそ合格したい!
私は、「AAS浜松」に辿り着くまでに、幾つもの受験校へ通いました。しかし、AASのように「読む力、考える力、書く力」を重視し、与件文と設問文から導くことができる「妥当性の高い解答を作る」ことに注力する受験指導を行なう所は初めてでした。
「春秋要約」をはじめ、「何か」を「毎日」でも提出(FAX)すれば、必ず返事をくださる先生に出会えたのも初めてでした。私は3年間AASに通いましたので「春秋要約」を含め、送信と受信を合わせると1000枚以上になりました。送る方もパワーが必要ですが、返信する鷺山先生のパワーの何と凄いことか。私一人ではなく、名古屋校と浜松校を合わせると数十名に対応することになります。そこまで、面倒を見て頂いて「勉強しない」「言う事聞かない」なんて言えるはずがありません。
勉強はしました。しかし、先に述べました通り、私は「自分好みの答案」を必死に書いていたわけで「ナイコトナイコトの須田」という名前さえ、拝命しておりました。
今年、実行したことは、@春秋要約を毎日続ける、A因果関係が明確で、MECEな文章を書く、B設問の「意義」を考える、C「ストーリー」をつかむ、D過去問を解いて、自分の解答と模範解答、合格者答案と比較する、の5つを徹底的に練習しました。そして、それを全て鷺山先生にFAXして、チェックしていただきました。最初は「は?」とか「う〜〜む」とか「何処に書いてある?」・・・等々、惨憺たる返信でしたが、9月末頃からは「まあOK」「まあGood」をいただけるようになりました(それでもまだ「自分好みの解答を書く癖」は残っていました)。
このように、AAS(鷺山先生)は、自らが変わりたいと思い、何か行動を起こし、相談すれば必ず返事をくださいます。また、気付かない場合は「与件文の何処から引用したのか書き出して・・・」と、私の状態(症状と言ったほうが良いかもしれません)を診て、的確なアドバイスをしてくださるのです。「与件文と設問文にナイコトを書いてはダメ!!」と何度指摘されたことでしょう。
鷺山先生の的確なアドバイスと熱意に支えられていたからこそ、嘘みたいな話ですが、歯医者で「美人グラビア」を見て「そうか!!」と気付きを得られたのだと思います。
最初の「気付き」から間もなく、過去問、特に「合格者答案」と自分の答案を比較してみて「合格答案とは、『福笑い』のように、ある一定の範囲に収まった内容の答えを書ければ良いのではないか」と、更なる気付きを得られました。
◆試験当日
試験当日は、AAS浜松の仲間と一緒に試験会場へ行きました。会場の入口では、鷺山先生をはじめ、AASの先生方が出向かえてくださいました。「平常心で、いつもの通りで良いからネ!!」と「薬(栄養ドリンクですが・・)」をもらいました。「あんたは年寄りだから2本あげるからネ!!」と、背中を押されて会場へ入りました。
「気付き」はあったものの、本当は自信なんて何もありませんでした。今になって思えば、あれが「気付き」だったのだ、と言えますが、試験の2日前の「気付き」なんて、本当は当てにはなりません。間違った「気付き」の可能性もありました。
会場では、自分の番号の席についてからも、不安で不安で「今年もダメかもしれない・・」などとクヨクヨしているうちに、試験官が入場。とにかく、試験中は「ストーリーを読み取り、戦略フローと設問間の関係を意識する。何より、与件文と設問文に書かれたアルコトからだけ答えを書く。」このことに集中しました。幸か不幸か「折れた歯」の治療中の仮歯が舌先に触るので、そのたびに「与件、与件・・・」と勝手な想像の世界から現実に戻ってくることができました。
しかし、答えは書いたものの、自分の好みで書かなかったので、今までで一番納得できない、弱い答えしか書けなかった、という思いでいっぱいでした。
ところが、2次試験の解答はこれで良かったのです。2次試験では、作問者がどのように考えたかを聞かれているのであって、私の意見や考えを聞かれているわけではない、ということです。「・・・あなたの考えを述べよ・・・」などと書かれてあったとしても、決して自分の意見を述べてはいけません。自分の意見を書き続け、不合格を続けた、この私が言うのですから間違いありません。
◆「合格体験記」について
「合格体験記」と言われても、私の場合は、あまりにも頑なな性格なため、合格まで長期間かかっているので、参考にはならないかもしれません。しかし、だからこそ「合格した時の喜び」や「気づきの瞬間」については、短期間で合格していく人たちより、感激や喜びが大きかったのではないかと思います。
私が言うのも変ですが、私のような「頑なな性格」の人間を、何とか合格まで導く力がある「AAS(鷺山パワーと言ったほうが良いかも)」は、本当に凄いと思います。AASは診断士受験生の間では「診断士受験生の最後の駆込み寺」とも言われていますが、なるほど、その通りだと思います。
これからAAS名古屋・浜松に通学して、中小企業診断士試験の合格を目指す皆様にアドバイスできることは次の2点です。
@素直に先生の指導に従うこと
「親の意見と茄子の花は千に1つの無駄もない」という諺がありますが、AASは「個人指導」をしてくださいます。試験日までの限られた日数の間で、個人別に最大の効果を発揮できる、無駄のない「処方箋」を出してくださるので、先生(親)の指導(意見)に素直に従えることが合格への最短コースと言えます(頑な性格の人は私のように時間がかかりますよ)。
AEvidence-based Writing(根拠に基づいた記述)を意識すること
「試験」には必ず「合否の基準」があります。基準を明確にするためには、ある一定の制約を設ける必要があります。それが、「与件」であり「設問文」です。したがって「与件文」と「設問文」以外の「あなたの経験」や「あなたの意見」は聞かれていないと言う事を、常に意識する必要があります。くどいようですが「お前の意見は聞いてない!(自分の意見を書くと私のように時間がかかります)」のです。
◆最後に
「継続は力なり」と言いますが、「四十の手習い」のつもりで始めた「中小企業診断士試験」でしたが、延長戦、延長戦・・・で、とうとう「五十の手習い」にまでなってしまいました。この拙い体験記が、これから中小企業診断士を目指す皆さんに、年寄りでも頑張れば何とかなるのだと、「合格へのモチベーション」を高めることに役立てば幸いです。
鷺山先生をはじめ、AASの先生、ありがとうございました。先生方の「矯正」力によって合格できました。AASで一緒に勉強させていただいた皆さんありがとうございました。色々な見方、考え方を知ることができました。また、AASに入る前から、静岡での勉強会で一緒に勉強させていただいた皆さん、特に中島さん、ありがとうございました。みなさんのおかげで長期間「合格へのモチベーション」を維持することができました。そして、何時になったら合格できるのか判らない試験に挑戦し続け、土曜日曜も休日もほとんど家に居たためしのない私を、黙って見守ってくれた家族に感謝いたします。 |